祥吾が小学校5年生の秋だったような気がします。
1年ほど前から硬式テニスを始め、
色で選んだプロ仕様の重たいラケットに振り回されながら、
ようやくラケットにボールが当たるようになってきた頃、
中学3年生の勇弥が出場していた市民大会の応援に行き、
試合終了後のコート開放の時に、
勇弥と祥吾がソフトテニスで乱打を始めました。
ラケットが軽くなったせいか、
硬式テニスよりは悪くない感じでしたが、
その光景をフェンスの外で眺めている方がいました。
その方は当時、ウチの直ぐ近くの高校で
ソフトテニス部の顧問をされていて、
この市民大会に部員を引率でいらいしていたのです。
先生の奥様は、ご子息(小6)のいるジュニアクラブで熱心に活動されており、
既に高校へ出向いて練習させて頂いていた勇弥(中3)も、
ご子息のジュニアクラブの選手達と練習させて頂いたりしていたので、
私は先生より先に奥様と面識を持ったような記憶があります。
それに、先生の高校はウチのすぐ近くだった事もあって、
勇弥が練習にお邪魔させて頂いており、
その先生とも顔見知りになりました。
当時、ジュニアクラブでは5年生が5人いて、
ペアを他のジュニアクラブの選手と組んだりしていたそうです。
という事もあって、コートの外で勇弥と祥吾の乱打を見ていた先生は、
祥吾が勇弥の弟で、小学5年生である事を知ると、
すぐに奥様に連絡をとられたそうで、
翌週には、祥吾にジュニアクラブ体験のお誘いがありました。
ちょうど、妻が入院した頃だったのかなぁ。
ジュニアクラブ体験に来た祥吾に、
皆は暖かい言葉をかけてくれて、
あの顔見知りの激しい祥吾が、
どうする?と聞いたら、
ジュニアクラブでソフトテニスをやりたいと言いました。
それが、祥吾のソフトテニスの源流点。
あの日、先生に見とがめられなければ、
祥吾がソフトテニスをやる事はなかったのかも知れません。
そして、ジュニアクラブでは悟史がペアを組んでくれて、
試合では、いつも祥吾が迷惑を掛けていたのですが、
悟史はいつも笑顔で接してくれました。
祥吾はジュニアクラブのみんなとは別の地元の中学へ入り、
その後は紆余曲折がありましたけど、
ソフトテニスから離れる事なく中学時代を過ごし、
そのお陰をもって、高校へと進学しようとしています。
祥吾をソフトテニスに導いてくれた先生は異動されましたが、
異動先も同じブロックの高校でソフトテニス部の顧問をされていたので、
4月に祥吾が入学して試合会場でお会いしたら、
祥吾のテニスを見て頂けると思っていたのですが・・・
その先生が旅立ってしまわれたという悲報に、
我が耳を疑いました。
昨年、悟史のお父様が急逝されてから1年。
またも、ジュニアクラブの仲間がお父様を亡くすという
悲しすぎる現実に接する事になりました。
そういえば、妻が亡くなったのも1月でした。
ご子息は、中学で県王者になり、
今は杜の都で、日本一を目指して精進しているそうです。
恐らく、彼の仲間は、祥吾がジュニアの仲間に救われた時のように、
彼の傷が癒えるように、暖かく包んでくれると思います。
空に向かって大声を張り上げていこう。
きっと聞こえるはずだから。
1年ほど前から硬式テニスを始め、
色で選んだプロ仕様の重たいラケットに振り回されながら、
ようやくラケットにボールが当たるようになってきた頃、
中学3年生の勇弥が出場していた市民大会の応援に行き、
試合終了後のコート開放の時に、
勇弥と祥吾がソフトテニスで乱打を始めました。
ラケットが軽くなったせいか、
硬式テニスよりは悪くない感じでしたが、
その光景をフェンスの外で眺めている方がいました。
その方は当時、ウチの直ぐ近くの高校で
ソフトテニス部の顧問をされていて、
この市民大会に部員を引率でいらいしていたのです。
先生の奥様は、ご子息(小6)のいるジュニアクラブで熱心に活動されており、
既に高校へ出向いて練習させて頂いていた勇弥(中3)も、
ご子息のジュニアクラブの選手達と練習させて頂いたりしていたので、
私は先生より先に奥様と面識を持ったような記憶があります。
それに、先生の高校はウチのすぐ近くだった事もあって、
勇弥が練習にお邪魔させて頂いており、
その先生とも顔見知りになりました。
当時、ジュニアクラブでは5年生が5人いて、
ペアを他のジュニアクラブの選手と組んだりしていたそうです。
という事もあって、コートの外で勇弥と祥吾の乱打を見ていた先生は、
祥吾が勇弥の弟で、小学5年生である事を知ると、
すぐに奥様に連絡をとられたそうで、
翌週には、祥吾にジュニアクラブ体験のお誘いがありました。
ちょうど、妻が入院した頃だったのかなぁ。
ジュニアクラブ体験に来た祥吾に、
皆は暖かい言葉をかけてくれて、
あの顔見知りの激しい祥吾が、
どうする?と聞いたら、
ジュニアクラブでソフトテニスをやりたいと言いました。
それが、祥吾のソフトテニスの源流点。
あの日、先生に見とがめられなければ、
祥吾がソフトテニスをやる事はなかったのかも知れません。
そして、ジュニアクラブでは悟史がペアを組んでくれて、
試合では、いつも祥吾が迷惑を掛けていたのですが、
悟史はいつも笑顔で接してくれました。
祥吾はジュニアクラブのみんなとは別の地元の中学へ入り、
その後は紆余曲折がありましたけど、
ソフトテニスから離れる事なく中学時代を過ごし、
そのお陰をもって、高校へと進学しようとしています。
祥吾をソフトテニスに導いてくれた先生は異動されましたが、
異動先も同じブロックの高校でソフトテニス部の顧問をされていたので、
4月に祥吾が入学して試合会場でお会いしたら、
祥吾のテニスを見て頂けると思っていたのですが・・・
その先生が旅立ってしまわれたという悲報に、
我が耳を疑いました。
昨年、悟史のお父様が急逝されてから1年。
またも、ジュニアクラブの仲間がお父様を亡くすという
悲しすぎる現実に接する事になりました。
そういえば、妻が亡くなったのも1月でした。
ご子息は、中学で県王者になり、
今は杜の都で、日本一を目指して精進しているそうです。
恐らく、彼の仲間は、祥吾がジュニアの仲間に救われた時のように、
彼の傷が癒えるように、暖かく包んでくれると思います。
空に向かって大声を張り上げていこう。
きっと聞こえるはずだから。

あまりにも信じられませんでした。
つい先月もこちらでお目にかかったことはもちろん、
亡くなられた前夜にもメールを頂戴していたからです。
それ以後、まだ息子さんとは会っていないのですが、
東北インドア大会の結果を知り、又、その様子を聞くに、
彼の悲痛な心中を察せずにはおれません。
今は、ただただ元気になってほしく願うばかりですし、
もちろん、ぼくらは彼を応援し続けます!
お父さまに負けないぐらいに。
ご冥福をお祈り致します。